アップローディング・イヴェント・ドキュメント

室井良輔

English

※図版はクリックで拡大表示されます。


 2011年8月27日の0:00から23:59まで、新・方法(注1)は『アップローディング・イヴェント』を行った。当日はアップロード(注2)を目的とした新設のウェブページが公開され、24時間の間に不特定多数の人によって1726個のファイルがアップロードされた。
 イヴェントの告知がなされたのは8月23日の23時頃のEメールおよび24日0時頃のTwitterでの投稿だった。そこには次のことが記されていた。

1964年10月10日、ハイレッド・センターはドロッピング・イヴェントを行った。
2011年8月27日、「新・方法」はアップローディング・イヴェントを行う。

内容の説明についてはこの二文のみ。続けて日時と開催場所の記載がある。開催場所にはURLが示されていた。新・方法が管理するサーバー上に作られたウェブページである。「是非、アクセスして下さい!」と添えられている。どうやらここは、誰もがアクセスできイヴェント当日に何か行われる所であることが推測できた。

また8月27日は新・方法のひとり、平間貴大の個展『無作品作品展』の最終日でもあった。告知文によれば、そのクロージングイベント『新・方法の夜 VOL.1』として、ギャラリーでアップローディング・イヴェントのレセプションが行われるとのこと。以上が告知文の内容だった。【図版1】。

スクリーンショット
図版1:告知メールの内容。


 ハイレッド・センター(注3)が行ったドロッピング・イヴェントについては赤瀬川原平著『東京ミキサー計画』(PARCO出版局、1984年)に記述がある。御茶ノ水池の坊会館に高松次郎・赤瀬川原平・和泉達・風倉匠らが集まり、屋上から鞄や服などを落とした。ドロッピングという言葉には、ジャクソン・ポロックの描画の技法が意識されていた。地球の表面(地面)をキャンバスに見立て、ドロップ(注4)される絵具は鞄や服、シーツに置き換えられている。これに連続するものとして新・方法のアップローディング・イヴェントが企画されたのだとすれば、キャンバスに見立てられた地球の表面はウェブページに替わり、鞄や服はファイルに、ドロッピングという行為はアップロードディングに対応しているのではないか。アップローディング・イヴェントはインターネットの使用が日常となった時代によるドロッピング・イヴェント、またはアクション・ペインティングといえるのかもしれない。
 そんなことを考えていると、数日後、新・方法の中ザワヒデキより自分宛にオブザーバーとしてイヴェントに参加して欲しい旨のメールが届く。今回のイヴェントに観客として参加し、コンピューター上で起こることの記録をとって欲しいということだった。こうして観客兼記録者としてアップローディング・イヴェントに関わることになった。


スクリーンショット
図版2:開催前のウェブページ。


 当日の三十分前には仕事を済ませ、準備万端でコンピューターの前に座った。【図版2】。ちょうど中ザワがTwitter上で再度、告知をツイート(投稿)している。同じ頃平間はライブに出演後、別の音楽イベントに「ユタカワサキバンド改めucnvバンド」の一員として参加する予定だという。アップローディング・イヴェントの方は大丈夫なのだろうか?と心配したが、どうやら参加できるようだ。ucnvバンドには、平間が個展『無作品作品展』の最中ということでライブに無人で参加したらしい。つまり参加メンバーにはクレジットされるが、実際には本人はいないという演奏をしたのだった。ということで、平間はライブ会場に行かないので開始時刻前には家に帰り着き、アップローディング・イヴェントに参加することができていた。新・方法の残りのひとり、馬場省吾も中ザワの告知ツイートをRT(転送)している。どうやら新・方法の三人は各自のコンピューターの前でスタンバイしているみたいだ。新・方法はTwitterと連携して作品を発表することが多い。「新・方法主義宣言」(注5)もそうだったし、「新・方法 at ニーエフ」(注6)のときもそうだった。今回も告知だけでなく、イヴェントの進行にTwitterが重要な役割を果たすことになる。

スクリーンショット
図版3:0時00分30秒
ページにはファイル選択のボックスと説明文が少しだけ。

 0時00分。すぐにURLのリンクをクリックして、ページを見てみる。告知の時とはページが書き換わっていて、ページ上部に新・方法「アップローディング・イヴェント」の文字、その下にフレームがふたつ上下に並んでいる。フレーム内に文字が書いてあるが、読む前に記録として画面のスクリーンショットを撮っておく。Macintoshは【コマンド+Shift+3】で撮れる。上のフレームにはファイル選択のボックスと説明文が少し。下のフレームは真っ白な空白。コンテンツが何もない。そこにはアップローディングするためのアップローダーがあるのみ。【図版3】。

スクリーンショット
図版4:0時00分45秒
下に日付/時刻/ファイル名/バイト数が表示された。
スクリーンショット
図版5:0時01分00秒
最初にアップロードされたファイル。

 そう思っているとページが更新されて、下のフレームに「2011/08/27 00:00:18 IMG_0515.JPG 149KB」と、日付時刻の横にファイル名のリンク、ファイル容量を示すバイト数が表示された。投稿者名の表示はない。【図版4】。リンクをクリックすると、新しいウィンドウが開いて画像が表示される。そこには美しい女性のポートレート。…ん?…と思いきや、男性だった。男性が女装して綺麗にメイクして椅子に座っている。しかもよく見ると、Eメール機関誌「新・方法」を編集している美術家・皆藤将氏であった。カイドウサン女装してる!これがアップローディング・イヴェントの幕開けだった。素晴らしい。思わず【コマンド+Shift+3】。【図版5】。
 画像のページを閉じてアップローディングのページに戻ると、下のフレームにたくさんのファイル名が時刻と共に表示されている。上のフレームからアップロードするとその結果が下のフレームに時系列順に表示されるようだ。Twitterでも新・方法の三人がイヴェントの開始を知らせるツイートをしている。アップロードしたという参加者のツイートも見える。Twitterのタイムラインではその流れが速くなっているし、アップローディングのページの流れも速くなっている。

スクリーンショット
図版6:0時27分30秒
非常に限られた要素で構成されているページ。

 説明文をもう一度読むと、「メールでもファイルがアップロードできます。」とある。携帯電話からでもアップロードできるということだ。コンピューターのライトユーザーにも配慮され、簡単にアップロードできる設計になっている。ページ全体に目を移すと、非常に簡素な最低限の要素で構成されていることが見てとれる。ページの外観要素を司るスタイルシートは使われていないし、文字色も指定がないのでブラウザの標準の色が適用される。タイトルや説明の文字は黒(カラーコードは#000000)で、リンクの色は青(#0000FF)になる。【図版6】。美的判断に関わる要素をコンピューターに任せ、そこに作家としての意図を介在させていない。要素を削ぎ落とすことはミニマルな所作に近接するが、あくまでそこには作家がタッチしないというスタンスで作られている。

スクリーンショット
図版7:1時25分04秒
Twitterでもイヴェントに関する投稿が増えている。

 最初の皆藤氏の写真以来、続々とファイルがアップロードされ勢いが止まらない。開いてみると画像やら文章やら音楽やら。様々な人が様々なファイルをアップロードしているようだ。それらのファイル名をクリックして開いて見て、読んで、聞くだけでもやたら忙しい。それとは別に、別ウィンドウでTwitterのタイムラインを見ながら【図版7】、気づいたことがあればTwitterに投稿し、イヴェントに関するツイートがあればTogetter(Twitterの投稿を任意に集め記録できるウェブサービス)にまとめ、そして時々アップローディングページのスクリーンショットを撮る。その間にも次々と新しいファイルがアップロードされていく。忙しい。

アップロードデータ
図版8:ハイレッド・センター『ドロッピング・イヴェント』

 合間に自分もアップロードしてみようとハードディスクの中を探してみる。ぱっと目についた、数日前にウェブから保存したハイレッド・センターのドロッピング・イヴェントの画像を上のフレームからアップロードしてみる。【図版8】。容量が小さかったのですぐ読み込まれアップロードが完了する。下のフレームにはすぐに反映されない。数秒して下のフレームに、アップロードされた時刻と共にファイル名のリンクが表示された。うまくアップロードされたか確認するためにリンクをクリックする。新しいページに今アップロードした画像が表示された。

 アップローディングのページにはたくさんのファイルがアップロードされており、匿名ながらもたくさんの人がアップロードしているのがわかった。アップロードする人の動機付けもそれぞれあったように思う。試しに手元にあるファイルをアップローディング。作品やフライヤーの制作データをそのままアップローディング。気に入っている写真、面白い画像を披露すべくアップローディング。ウェブサイトから保存した何でもない画像や文章、動画をアップローディング。デスクトップ画面そのものをキャプチャーしアップローディング。Twitterでアップロードできないと言っている人のツイートをキャプチャーしアップローディング。といったように。【図版9】。

アップロードデータ アップロードデータ アップロードデータ アップロードデータ アップロードデータ アップロードデータ アップロードデータ アップロードデータ アップロードデータ アップロードデータ
図版9:様々なデータがアップロードされている。


 Twitterのタイムラインでは、イヴェントに関するツイートが増えている。新・方法の三人もさかんにツイートしている。アップロードされる量が増えてきたので、ファイルを一旦デスクトップにダウンロードしてから見るように切り替える。ダウンロードされたファイルを見ていると、その中に新・方法のメンバーがアップロードしたと思われるファイルが見つかる。中ザワの作品が飾られた部屋の写真がある。馬場作品の楽譜がある。平間のプリクラ作品がある。中ザワが自分撮りをしている。宝くじ(注7)もある。新・方法の三人がついさっきまでSkypeで会話していたチャット画面もキャプチャーされている。イヴェント開始からTwitterだけでなくSkypeチャットでも会話していたようだ。中ザワはラーメンを食べているらしいことがツイートからわかる。あ、カップ麺を撮った写真もアップロードされている。自分のデスクトップからju seiの『コーンソロ』が聴こえてくる。聴いている音楽をツイート。中ザワがカップ麺を食べ終えたみたいだ。今度はキャプチャー画像に上からペイントソフトで絵を描いている。画面のキャプチャー画像を表示し、その画面をキャプチャー、さらにその画像を表示しキャプチャーした画像もある。【図版10】。

アップロードデータ アップロードデータ アップロードデータ アップロードデータ アップロードデータ アップロードデータ アップロードデータ アップロードデータ
図版10:新・方法メンバーのデータもアップロードされている。


スクリーンショット
図版11:1時16分18秒
ページの表示にズレが出たり、ライブ感を伴ってイヴェントが進行していく。

 すると、アップローディングページの表示がズレて不具合が起きた。すかさず【コマンド+Shift+3】。そしてアップローディング。【図版11】。数秒後、表示のズレは解消され、ページには「アップロードされたファイル数」が表示されるようになった。アップロードされたファイル数200。その後またSkypeチャットの画面がアップロードされて、馬場がアップローダーの仕様をその場で変更していたということがわかる。新・方法の三人たちのツイートに「アップロードしてから見る」とある。また「アップロードしても見るひまない」とも言っている。アップロードしながら色々なことを同時進行しているようだ。ライブ感のようなものがデータから感じられる。

スクリーンショット
図版12:2時47分58秒
ファイル名で会話している。

 さらに時間が経つと、アップロードされたファイルにアップロードした人が「公」と「私」を行き来しているような傾向が見えてくる。アップロードされたファイル名が「そろそろねよかな」というようにTwitterでの「つぶやき」にも似た言葉として出てきたり、アップロードするファイル名で参加者同士が会話するというようなことも出てきた。「1ギガのファイルをアップロード」に対して「1ギガはできないと思います。」など。【図版12】。
 このような参加者同士の緩やかな連携は、アップロードされたファイルの中に公序良俗に反するファイルが、少なくとも自分が観測した範囲では無かったこととも通じているように思える。これは、自身のハードディスクからアップローディングという個人的な行為になる機能を持ちながら、イヴェントがあらゆる人に開かれ参加者同士が暗黙に倫理を共有する公共圏を形成していたからだろう。閲覧するであろう他者が意識されていれば、アップロードする内容にも多少なりとも影響がでるはずだからだ。

 と、ここまで事を追っていくと、改めてこれは何だろうという気になってくる。これは何処にでもあるアップローダーだ。従来はデータを共有するための用途で使われるものだ。新・方法が制作したこのアップローダーには実用的な用途が無く、データをアップロードするためのアップローダーというだけだ。アップローディングのためのアップローダー。「これは何だろう」という曰く言い難い戸惑いは、正体の不明さからくるのではなく、初めから正体は表面に晒されていて、それが視認できることのそれ以上でも以下でもないという無意味さからきている。
 しかしその無意味さは結果的にアップローディングという行為をある意味で可視化させていた。アップローディングのページを眺めていると、様々なファイルの種類があることに気づく。ファイルの種類を示す拡張子も、 .jpg .gif .pct .txt .pdf .doc .mp3 .wav .wma .mov .mid .ai .psd .exe .htmlとざっと挙げただけでもこれだけある。画像、文章、音声と形式も違えば、作られるソフトも違う。しかしそれらはアップローディングすると一様にページに表示される。これはアップローディングというデータを扱う行為が、それら形式の違いを超えてバイナリデータ(0と1で記述されるコンピューター上のデータ)として等価に扱えるということを可視化したということではないか。

スクリーンショット
図版13:12時20分05秒
馴染みのない拡張子が並ぶ。

 期間中、様々なデータに混じって、馴染みのない拡張子のついたファイルがアップローディングのページに並び始めたことがあった。「アセンブラ.a」「エーゼロゼロ.a00」「エーヨンヨン.a44」「エー68.a68」などである。初めはaから始まる拡張子であり、その次にbから始まる拡張子、次はc、dと順を追っていた。【図版13】。これはのちに聞いたことだが、アップロードしていたのは平間であり、ファイルを作るときに拡張子事典を見ながらaから昇順で実在する拡張子をつけ、それと同じ読みをカタカナで表記しファイル名にしたということだった。これは新・方法のアップローディング・イヴェントという場に誘発されて、平間が新・方法主義的なアップローディングを見つけ実践した結果だった。このように環境に即応するのが、平間や新・方法の特徴でもある。

スクリーンショット
図版14:3時20分19秒
アップローディングは続く。

 時刻は午前3時。アップロードされたファイルは500を超える。【図版14】。徐々に人も少なくなってきたようでアップローディングページの流れが緩くなる。しかしアップロードはコンスタントに続いている。ファイルから判断すると先程からアップロードし続けているのは中ザワと平間のようだ。ハードディスクのファイルを片っ端からアップロードしている印象。アップロードする人が減るということは、閲覧している人も減るということ。まして、このイヴェントを開始からずっと一人でコンピューターの前に張り付いて、可能な限り状況を見届け記録しようとするモチベーションの人間はほぼいない。オブザーバーの自分くらいなものだ。その状況は閲覧しているこちら側に妙な関係を生んだ。アップロードする側と一対一で対峙しているかのような不思議な緊張感があった。アップロードする側は不特定多数に向けて、あるいは誰にも向けられずにアップロードするが、閲覧する側にはアップロードする人間が想定・限定されている。そんな状態で画面を見ていると、ファイルが2、3個アップロードされ、少し間が空いてまた2、3個アップロードされるというような動きに気づく。推測するに、このときアップロードした側は、自身のハードディスクのファイルを探し、見つかるとアップローダーで送信の手順を踏む。それが完了するとまたファイルを探しに行く。その運動とその運動に挟まれた僅かな間隙にアップロードする主体の身体性を見つける。デジタルな環境にさえその身体を伴った他者を発見し、無言でその他者と対峙する。目を離そうにも離せられない状態が幾分か続いた。しかしこれを続けると寝るタイミングを失う。明日は用事もあるしアップローディング・イヴェントのレセプションがある。ここはひとまず、ここまでのイヴェントに関連するツイートをTogetterにまとめて(注8)寝ることにしよう。時刻はもう午前5時。


スクリーンショット
図版15:10時59分32秒
朝になってもアップローディングは続いている。

 朝起きると、アップロードされたファイルが増えている。ファイル数は750。【図版15】。Twitterのタイムラインでは昨夜アップロードしてなかった人がアップロードしていたり、朝イヴェントが行われていることがわかってアップロードする人などがいたり、反応は様々。イヴェントへの反応にこのような時間差が出るのは、24時間という長い開催時間とTwitterがユーザーの時間を制限しないメディアだからである。Twitterユーザーは自身の好きな場所・好きなタイミングで自身のタイムラインにアクセスでき、他のユーザーの発言を遡って見ることができる。またユーザーそれぞれでフォロー(自身のタイムラインに表示するように登録)しているアカウントが異なるので、ユーザー間で手に入れる情報の違いが出てくる。今回のイヴェントは、Twitterを使っている者の間でも見る時間やフォローアカウントの違いで、参加者それぞれに違った印象になるのではないか。

 またTwitterが情報の拡散や浸透に長けている点も指摘しておきたい。このイヴェントを知っている人は、新・方法の活動を観るという態度でアップローディングのページに辿り着ける。このイヴェントを知らず新・方法の活動も知らない人であっても、たまたまTwitterの自分のタイムラインで#newmethodのリンクのついたツイートを発見すれば、リンクから辿り着くことができる。そしてその時、その用途も目的もわからないアップローダーを前にする。その正体不明なものに「観客」としてではなく市井の人のまま遭遇するのだ。これはハイレッド・センターの強調した所でもある。芸術のスタイルを破り、いかに活動から「芸術」の語や鑑賞するという態度を消去するか。ドロッピング・イヴェントで屋上から鞄や服を落とすことは公共圏への侵入、そして市井の人との予期せぬ遭遇という性格を帯びていた。そのような傾向がアップローディング・イヴェントにも見てとれる。その意味ではこのイヴェントは反芸術的なアクションであるようにも思える。しかし新・方法主義者は、そもそも芸術か反芸術かを語るより、ある定められた行為を愚直に実践するだろう。

アップロードデータ
図版16:1000個目のファイル「1000.jpg」。

 アップローディングは続き、アップロードされたファイル数は900を超え、1000を突破する。1000個目のファイルは「1000.jpg」という名前がつけられたファイルだった。【図版16】。

 この辺りで自分は他用のため外へ出掛ける。外に出ると目についたものを写真で撮ってアップロードしてみようという気になる。メールでもアップロードできるので今撮った写真をメールに添付してアップローディング。場所が変わればアップローディングの動機付けも変わる。用事を済ませている間も頭の片隅でイヴェントのことがある。用事を済ませてレセプション会場のギャラリー「20202」に19時頃到着。会場には新・方法の三人と写真撮影を担当する皆藤氏がいた。会場にはスクリーンとプロジェクターが設置され、アップローディングページの画面が大きく映し出されている。USTREAMで中継もされている(注9)。今もアップローディング・イヴェントは進行中で、ネットワークの先にいる誰かによってファイルが投げ入れられている。まもなく司会をする鶯セヴーチ氏が到着した。このアップローディング・イヴェントのレセプションには、『新・方法の夜 VOL.1』という名前がついている。これは2003年1月から開催された中ザワ主催の月例イベント『方法の夜』の新・方法版である。

レセプション風景
図版17:主催の「新・方法」。

 19時半、徐々に観客も集まってきたところで新・方法の三人が前に並び【図版17】、鶯セヴーチのウグイス嬢的音声による司会進行、そして僭越ながら室井の乾杯の音頭でレセプションが始まった。その後も続々と、新・方法に関わりのある人や、家でアップローディング・イヴェントに参加していた人たち、アップローディング・イヴェントのことを知らない人などが観客としてやって来る。ただこの後この会場で新・方法の三人が何かをやるわけではない。観客とスクリーンに映し出された画面を見ながら談笑するだけだ。【図版18】【図版19】。やることがあるとすればそれはアップローディングだ。談笑しながら新・方法の三人も観客も会場の光景を携帯電話で撮影し、すぐさまアップロードしている。そして今アップロードされたファイルを一つのスクリーンに映し出しながら、みんなで見ている。【図版20】。その間にも様々な場所から様々なファイルがアップロードされている。その勢いは収まらない。それどころか今日の23時59分の終了時刻に向かって加速しているようだ。携帯にたまたま入っていた画像、旅行写真、会場に来た観客からの「○○参上」の文字、自宅のコンピューターからと思われる相撲番組の動画【図版21】、ラッセンの絵、音声ファイル、大容量のデータ、小さい容量のデータがアップロードされている。それらを見ながらあれこれ言うのも楽しい。ファイルからアップロードした人物を想像するのも楽しい(注10)。共有や発表、記録、他者の反応への期待というような性格を帯びながらアップロードされるデータは、更にその次のデータがアップロードされることによって、画面下方に押しやられていく。すると、それらのアップローディングの動機付けは徐々に後退していき、アップローディングが自己目的化されていく。画面に現れては流れていくデータはアップローディングという目的化された行為の残余でしかなくなる。

レセプション風景
図版18:レセプション会場では観客と談笑。
レセプション風景
図版19:アップロード画面をスクリーンに映し出している。
レセプション風景
図版20:盛況な会場。画面を皆で見ている。
レセプション風景
図版21:相撲番組の動画がたくさんアップロードされていた。


 そうこうしているうちに時間は過ぎ、盛況のうちにレセプションは終了した。我々は打ち上げをする中華屋に移動し、あとは終了時刻の23時59分を待つばかり。アップローディングのページは、終了時刻を過ぎればアクセスできなくなるらしい。

 23時59分を過ぎアップローディング・イヴェントは終了を迎えた。最後までアップローディングの勢いは止まらず、最終的にアップロードされたファイルは1726個になっていた。その後アップローディングのページは削除され、ページはもちろんアップロードされたファイルにもアクセスできなくなった。【図版22】。

スクリーンショット
図版22:28日2時05分40秒
イヴェント終了後。ページにアクセスできなくなった。


 イヴェントが終了してから数週間後、記録文章の依頼を受けた。文章を書くにあたって、アップローダーを実質管理していると思われる馬場にアップロードされたデータの提供を求めたところ、新・方法としてデータは「紛失したということになっております。よって申し訳ありませんが、データをお渡しすることは出来かねます。」という返答が来た。

 更に後日、聞いたところによると、「紛失したということになっている」というのは、ハイレッド・センターがドロッピング・イヴェントでドロップさせた物を紛失したという結末と関連付けられているらしかった。


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注1

新・方法:
「新・方法」は2010年9月4日に結成された平間貴大、馬場省吾、中ザワヒデキの三人のグループ。同日「新・方法主義宣言」を発表。以来、「為替介入」、「初詣」、「確定申告」などをEメール配信で発表。また、同年10月4日より、ゲスト寄稿と作品から成る機関誌「新・方法」を毎月配信。これまでに各種イベント、展示多数参加。
http://7x7whitebell.net/new-method/

注2

アップロード:
インターネットなどで、通信回線を介してまとまったデータ(ファイル)をホストコンピューターに送信すること。
【goo辞書-小学館提供『デジタル大辞泉』より】

 

 

 

注3

ハイレッド・センター:
1963年に高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之が結成したグループ。それぞれの名前の最初の字、「高」、「赤」、「中」の英訳でその名称が作られた。構成メンバーは三人のほかに和泉達も含まれるが、それ以外に不特定の人間が参加することもあり、流動的なものであった。正式な結成は、1963年5月の「第5次ミキサー計画」においてとされるが、実質的にその活動は前年12月の「山手線事件」の頃より開始されていた。その他の主な活動に、「シェルタープラン」(64年1月)、「通信衛星は何者に使われているか」(64年4月)、「大パノラマ展」(64年6月)、「ドロッピング・イヴェント」(64年10月)、「首都圏清掃整理促進運動」(64年10月)、「法廷における大博覧会」(66年8月)などがある。なお、中西がドロッピング・イヴェントに参加したかは確認できていない。
【『東京ミキサー計画』、『現代美術用語辞典』(artscape)より抜粋、改変】

注4

ドロップ:
ジャクソン・ポロックの技法は「ドリップ・ペインティング/ドリッピング」だが、『東京ミキサー計画』では「ドロップ」と書かれている。

 

 

 

注5

新・方法主義宣言:
「新・方法」が2010年9月4日に宣した。EメールとTwitterで発表した。
http://7x7whitebell.net/new-method/manifesto_j.html

注6

新・方法 at ニーエフ:
2011年3月19日、小金井アートスポット シャトー2F(ニーエフ)で行われたイベント『たまたま9.03 やまやままやかし!』に「新・方法」が出演し、そのとき行なった演目。
会場で三人がTwitterについての説明を読み上げながら、その内容をTwitterに投稿した。
http://7x7whitebell.net/new-method/2f.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

注7

「新・方法」が2010年12月3日に発表した作品。
「当せん金付証票の購入」:
http://7x7whitebell.net/new-method/lottery_j.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

注8

新・方法「アップローディング・イヴェント」 反応まとめ #newmethod - Togetter:
http://togetter.com/li/179783

 

 

 

 

 

 

 

 

注9

『アップローディング・イヴェント』レセプションの録画 - USTREAM:
http://www.ustream.tv/recorded/16903190

 

 

 

注10

たとえば次々アップロードされてくるとてもマニアックな相撲の動画群に対して、中ザワは、「このような動画群をアップロードできるのは、世界中に、豊嶋康子さん以外ありえない」と何度も言っていた。