新・方法メールインタビュー(和訳)

※この文章は、「棚ガレリ」サイト内の"Mail Interview with New-Method"を和訳したものです。
※インタビューワー:松下学(ラド・コモンズ

- 棚ガレリでの展示について教えてください。

平間:画廊主からの依頼により、今回の展示が実現しました。作品は、本を棚に戻すことです。私たちは本を棚に置きました。
馬場:棚ガレリは本棚の一角を改造し画廊とした空間です。画廊主が画廊開設の際に取り除いた本を棚に戻し、私たちの展示としました。
中ザワ:画廊開設の際に透明アクリル板が棚前面に取りつけられました。ところが本を棚に戻すには、その透明アクリル板を開け放したままにしておく必要が生じました。画廊主は私たちの要望を聞き入れてくださり、今回の展示が実現しました。

- 「新・方法」とはどのようなグループですか。また、各々のメンバーはグループにどのように関わっているのでしょうか。

平間:新・方法は新・方法です。「新・方法」は「新・方法」です。
馬場:2004年に実質の活動を終えた「方法主義」を徹底する、「新・方法主義」を標榜するグループです。美術家であり元・方法主義者である中ザワヒデキの呼びかけにより集まった3名で、2010年9月4日に「新・方法主義宣言」を発表、2010年10月4日にEメール機関誌「新・方法」の発刊・配信を行いました。同機関誌は今後、毎月4日に配信予定です。メンバーは平間貴大・馬場省吾・中ザワヒデキの3名ですが、メンバー間での関わり方の差異は特にありません。
中ザワ:2010年8月に平間貴大が行った三連続個展のひとつに「10年遅れた方法音楽」との言い回しが含まれていました。それに反応した中ザワヒデキが「新・方法」の結成を思いついたのが始まりです。馬場省吾はかつて方法主義の一環として結成された「方法マシン」の元・メンバーでした。中ザワヒデキは元・方法主義者でした。

- 「新・方法」の原理である方法主義について詳しく教えてください。

平間:「新・方法」の掲げる主義は新・方法主義です。新・方法主義という単語には方法主義という単語が含まれています。
馬場:方法主義は2000年から2004年まで活動していた、グループ「方法」の掲げる主義です。方法主義は芸術における還元主義の一種ですが、フォーマリズムとは違い、形式ではなく方法への還元を行うことによって、絵画・詩・音楽という異なる形式を単一原理によって語ることを目的としていました。メンバーは中ザワヒデキの呼びかけにより集まった3名の美術家・詩人・音楽家でした。
中ザワ:新・方法主義宣言では、方法主義は「参考」としての扱いです。私たちは方法主義を参考にしますが、方法主義を行動原理とするというわけでは必ずしもありません。新・方法主義は、方法主義とは別物です。

- 2000年に発足した方法主義と新・方法主義のちがいをどう理解すればいいでしょうか。

平間:方法主義宣言では「方法絵画」「方法詩」「方法音楽」の語が屹立していましたが、新・方法主義宣言にそれらの語はありません。方法主義宣言は同語反復を「語る」と宣したものでしたが、新・方法主義宣言にその言葉はありません。方法主義者は同語反復を説明しましたが、新・方法主義者は同語反復を実践します。
馬場:方法主義では芸術固有の伝統形式である絵画・詩・音楽が並置され、同語反復が「演じ」られていました。新・方法主義では方法還元から導かれる結論が芸術の語すら消える地平に見据えられ、同語反復が「実践」されています。方法主義者が自認した「美術家」「詩人」「音楽家」という肩書が、新・方法主義者にないのはそのためです。
中ザワ:たとえば10年前の方法音楽は人間によって演じられていましたが、新・方法主義における音楽はMIDI機器により実践されれば事足ります。2010年8月に平間貴大が行った三連続個展のひとつでは、音楽がMIDI機器により実践されていました。その際の「10年遅れた方法音楽」という言い回しは、主義としては既に存在していた方法音楽が、作曲の段階においては完成していなかったという見解を表明したものでした。

- 展示のためのオープニングイベントでは、先の方法主義に参加していた詩人の松井茂と新・方法の対談、そして客席とのディスカッションを行いました。そのトークからいくつかのコメントを取り上げましょう。
新・方法主義はモダニズムであるというグループの見解に対して、新・方法主義はポストモダニズムであるように見えるという指摘がありました。新・方法はモダニズムとポストモダニズムをどのように捉え、自らの活動をそれらにどう位置づけているのでしょうか?

平間:同語反復が意味する無意味は、還元主義としてのモダニズムの結論であるとも、快楽主義としてのポストモダニズムの結果であるとも解釈できます。方法主義は、同語反復を前者ととらえる運動でした。ところが同語反復を実践する新・方法主義には、前者か後者かの区別は不要です。それゆえ前者を拒否しているわけではありませんが、後者に映るという指摘もありえます。
馬場:方法主義では同語反復をメタ的に肯定するため、敢えて快楽否定を演じる必要がありました。これはモダニズムの態度と一致します。新・方法主義では同語反復を実践するため、ことさら快楽否定を演じる理由がありません。したがってモダニズムの態度を拒否するわけではありませんが、ポストモダニズムの態度も許容します。
中ザワ:新・方法主義が方法主義という単語を含む以上、新・方法主義は方法主義を既視的に内包しています。ポストモダニズムがモダニズムという単語を含む以上、ポストモダニズムはモダニズムを既視的に内包しています。方法主義に対する新・方法主義の立ち位置は、モダニズムに対するポストモダニズムのそれに似ています。ところが新・方法主義が「新・」という接頭辞を含む以上、新・方法主義は未視的なモダニズムであることを免れません。

- 方法主義との関係でフォーマリズムやシミュレーショニズムへの言及がありました。新・方法主義はそれらの主義とどのように重なりどのように異なるのでしょうか。

平間:20世紀中葉まで、還元主義とは形式還元すなわちフォーマリズムのことであると考えられていました。しかし還元主義には形式還元以外に方法還元がありえることを示し、後者を主張したものが2000年に登場した方法主義でした。その際フォーマリズムは物質に依拠するアナログ時代的発想、方法主義は情報に依拠するデジタル時代的発想という主張もなされました。
馬場:シミュレーショニズムは20世紀後葉における反芸術の再来です。反芸術が芸術という単語を含む以上、反芸術は芸術を既視的に内包します。ここで思い出されるのが新・方法主義が方法主義という単語を含むことです。新・方法主義がシミュレーショニズムを連想させるとしたら、このような図式があるからです。
中ザワ:フォーマリズムとの異同が問題とされるのは方法主義であり新・方法主義ではありません。シミュレーショニズムとの異同が問題とされるのは新・方法主義であり方法主義ではありません。フォーマリズムとシミュレーショニズムは別物ですがシミュレーショニズムがフォーマリズムをシミュレートすることはありえます。方法主義と新・方法主義は別物ですが新・方法主義が方法主義を参考とすることはありえます。

- 新・方法は必ずしも「芸術」というくくりを設けませんが、新・方法はとても「芸術的」だという意見もありました。新・方法は「芸術」を自らの活動に対してどう位置づけているのでしょうか。

平間:芸術は芸術です。指摘は指摘です。新・方法は、新・方法です。
馬場:「新・方法」は方法還元から導かれる結論を芸術の語すら消える地平に見据え、同語反復を実践するグループです。それが画廊という場に置かれれば、芸術の同語反復を実践することになるでしょう。私たちの自覚・無自覚とは関係なく、観客の目にそれは反芸術に映ることもあるでしょう。反芸術は、とても「芸術」的と指摘されることもあるでしょう。
中ザワ:新・方法主義は方法主義を参考とし、方法主義は芸術の語に拘泥します。一方で方法主義が自任する還元主義としてのモダニズムは、自己批判と同義であるがゆえ、その徹底が反芸術となります。したがって新・方法主義は、芸術の語と反芸術を参考とすることになります。新・方法主義宣言の本文にいっさい芸術の語の記載がないことは、新・方法主義が芸術の語と反芸術を参考とすることに呼応します。

- 新・方法は趣味性を否定しているように見えますが、そう見えて実際はきわめて趣味的であるという指摘もありました。新・方法は趣味性というものをどのようにみなしているのでしょうか。

平間:趣味性を否定しているようだとするならば、それは新・方法主義に主義という語が含まれるからであり、実は趣味的だとするならば、それは新・方法主義という語の選択が主義からなされたわけではないからでしょう。新・方法主義にとって趣味性は趣味性として扱われています。
馬場:実は趣味的との指摘は、本来どのような主義も趣味性に依拠せざるを得ない、つまり主義である必然性がないという事実を露呈する重要な謂いに違いなく、それでもなお主義を表明することがあるとすれば、それは特定の制度の中で有効性を保つためには主義を自任せざるを得ないからに違いありません。ただしその自覚は、自己批判を伴うこととなります。
中ザワ:方法主義に対しても「実は趣味的」との指摘が当時なされ、それを認めつつも趣味性を最小に抑える努力が要請された時点で主義が初めて担保され、同時にロマン主義的アイロニーが惹起しました。これは、方法主義が同語反復を説明しようとしたからです。同語反復を実践する新・方法主義においては、主義と趣味は背反しません。新・方法主義を新・方法趣味と言い換えても状況は変わりません。方法音楽の演奏は人間よりもMIDI機器がよいですが、これは主義主張でもあり趣味判断でもあります。たまたま、趣味の自称よりも主義の自任が私たちの趣味に適っていたため「新・方法主義」となりました。

- 最後に、新・方法主義の次のアクションや今後の展望を教えてください。

平間:次のアクションは次のアクションとして、今後の展望は今後の展望として考えています。
馬場:定期的にはEメール機関誌「新・方法」を毎月4日に配信予定ですが、作品は突発的に発表する可能性があります。私たちが2010年9月21日に行った「為替介入」は後者の一例です。今後の展望については、新・方法主義が趣味ではなく主義と自任している以上、私たちから述べることはありません。
中ザワ:「新・方法」が結成された以上、その解散が展望されています。そしてその解散は、「新・新・方法」の結成を展望することになるでしょう。

戻る