本稿では、旧・方法と新・方法の機関誌を比較することによって、そこから見える両者の特徴を浮かび上がらせ、それに対する1つの理解の仕方を考えたいと思います。
まず始めに、方法主義の基本的な立場を確認しておきます。方法主義とは、「論理」を作品制作における第一原理として据えた立場だということができます。この方法主義は、「方法」と「主義」の分割が可能であり、「論理」は主義よりも方法と親和性が高いということが重要です。ある意味最も重要な作品とも理解可能な機関誌からは、方法と主義に対する位置づけの違いが、旧・方法と新・方法を分ける分断線として見えてくるのです。そして、その両者の特徴が最も鮮やかに浮かび上がるのが、『方法』の11号・21号と『新・方法』の7号です。そこで焦点となるのは、現実社会という「偶然と即興」からの介入に対して、方法主義がどのように対処しているのかということです。
『方法』11号では航空機のビルとの衝突、また21号では弾薬使用の地域的解禁があり、機関誌はこれを対象に取り上げます。注目すべきなのは、この2つの号では、方法を原理として対象を取り扱うのではなく、逆に対象に対して方法をすり寄せていることです。つまり、主義は現実社会への対応に迫られ、偶然と即興によって出現した対象に引きずられ、論理の原則にかすかな亀裂が生じている訳です。その亀裂が生じた論理に沿って、方法が適用されてしまっているのです。すなわち、主義は偶然と即興に飲み込まれることで、方法は「方法主義」の論理からはみ出して適用されているのです。
これに対して、『新・方法』7号では地殻の変動がありましたが、機関誌の内容は以前以後と変りません。なされたのは、これを対象として方法を遂行した作品の配信だけでした。機関誌に先立ち2011年3月26日に配信された作品である「災害支援ボランティアへの応募」は、方法を論理として適用した(方法の遂行に忠実であった)結果、対象としてそれが選ばれたに過ぎません。それは、偶然と即興や感覚と感情それ自体すらもが、他の対象と同じ次元で単なる1つの対象として、方法の枠組で処理されているのです。
結論に移る前に、機関誌について1つ簡単な確認をしておきます。そもそも、新旧の機関誌では、大きな違いが確実に1つはあります。それは、メンバーによる原稿の有無です。『方法』に掲載された原稿は、彼らの主義の表明でありその解説でした。ところが、『新・方法』には、これがないのです。このことと上述のことを併せて考えてみると、次のように理解することができます。
旧・方法は、方法を主義化することによって、方法が主義に従属する可能性がありました。主義は心の持ちようですから、論理よりも感情と接近しやすいことは、理解できるでしょう。このことは通常は表面に出てきませんが、「偶然と即興」を伴った感情を揺さぶる対象が出現した場合に、方法の主義への従属が明らかになります。それが、『方法』の11号と21号であり、「主義としての方法」が旧・方法だったのではないでしょうか。
一方、新・方法は、主義を方法に先立たせることはしません。方法は、あくまで方法そのもののであり、その遂行によってのみ達成されるものだという態度が垣間見えます。つまり、「偶然と即興」を伴った感情を揺さぶる対象の出現に対しても、方法の適用と遂行によって処理をする訳です。それが、『新・方法』の7号であり、「方法としての方法」が新・方法なのではないでしょうか。
上記のことから、新旧の機関誌を通して見えてくる2つの方法主義の違いと変化とは、「主義としての方法」から、その困難を理解し踏まえた上での「方法としての方法」への移行だというように理解できるのです。そして、新・方法主義第三宣言は、「方法としての方法」が内包する困難を、自ら的確に呈示していると思うのです。