自律するCMYKの各インクによる線分
「プリンターによるリアライズ」No.1~No.24
Line Segments by Each Autonomous CMYK Ink,
"Realized by Printer No.1 - 24"

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2010年 透明フィルム、アクリル、テキスト 2010, transparent films in acrylic cases
127mm * 178mm

横浜橋Art Picnic TOCOにて行われた同名の個展の出品作品。 Presented works for solo exhibition with the same name on Yokohama-bashi Art Picnic TOCO.

Line Segments by Each Autonomous CMYK Ink, 'Realized by Printer No.1 - 24' photo 01Line Segments by Each Autonomous CMYK Ink, 'Realized by Printer No.1 - 24' photo 02Line Segments by Each Autonomous CMYK Ink, 'Realized by Printer No.1 - 24' photo 03Line Segments by Each Autonomous CMYK Ink, 'Realized by Printer No.1 - 24' photo 04Line Segments by Each Autonomous CMYK Ink, 'Realized by Printer No.1 - 24' photo 05Line Segments by Each Autonomous CMYK Ink, 'Realized by Printer No.1 - 24' photo 06Line Segments by Each Autonomous CMYK Ink, 'Realized by Printer No.1 - 24' photo 07Line Segments by Each Autonomous CMYK Ink, 'Realized by Printer No.1 - 24' photo 08Line Segments by Each Autonomous CMYK Ink, 'Realized by Printer No.1 - 24' photo 09Line Segments by Each Autonomous CMYK Ink, 'Realized by Printer No.1 - 24' photo 10Line Segments by Each Autonomous CMYK Ink, 'Realized by Printer No.1 - 24' photo 11

この作品タイトルは、作品の重要な要素を網羅するように命名されている。その要素は三つで、「自律する」「CMYKの各インク」「線分」である。そして、それら要素は全てが綯い交ぜになって意味を帯びる。

「自律する」

「自律する」とは、この作品が一つの計算方法に基づいて色彩を配置していることの隠喩である。人間が印刷機に送る命令は、機械が解釈できるように変換され、そして媒体物へ出力される。ここに、人間が認識しているものと機械が認識しているものに、大きな乖離が生じている。

媒体物へ出力される一歩手前では、どんなものも、たとえ名画さえ、機械の前では全て同じようになる。私はここに現代テクノロジーの隠された暴力を見る。その暴力性を排除するために、人間にも認識が可能な機械への命令が必要であり、それが「計算」である。人間の認識と機械の認識が概念的に一致する「計算」の結果を出力すること自体が、現代の芸術表現の手段たり得る。

ただしその結果が、人間が容易に規則を認識できる単純なものであってはならない。人間が容易に規則を認識できる単純なものは、人間にとっては計算ではなくなってしまい、機械の認識との乖離が再度生じてしまうからだ。しかしその結果が、人間が規則を全く認識できない複雑すぎるものであってもならない。単純なもの同様、人間にとって計算ではなくなってしまうからだ。

その計算方法がもたらす結果は、単純であり、しかし多様でなくてはならない。

「CMYKの各インク」

減法混色の中でも、理論上どのような色も表現することが可能な色表現としてCMYが存在する。それを印刷用に改良を加えたのが、「CMYK」である。現在、何かを印刷するときはほぼ必ずと言っていいほどに、このCMYKのインクが用いられている。現代の色彩観は、加法混色のRGBと、減法混色のCMYKに支配されている。双方は共に、厳格な科学理論を基にして実用化されている。

今現在の2010年から114年前にあたる1886年、ジョルジュ・スーラは、傑作となる絵画『グランド・ジャッド島の午後の日曜日』を発表した。この作品は極めて厳格な科学的な色彩理論に基づき、印象派の本能的で恣意的な色彩分割を排除し、合理的な方法に従った「新印象派」と呼ばれることになる。絵画芸術で、形態/線が科学を参照する古典的な例を挙げることはできるが、スーラの試みは色彩における科学の参照である。しかしスーラが科学を参照したのは、古代より脈々と続く芸術の規範たる「調和」を深く掘り下げるためであって、あくまで芸術が主位であることを忘れてはならない。

現代はどうだろうか。全ての印刷物はCMYKの印刷機によると言っても過言ではなく、機械の前では全てが等価に扱われ、そして容易に正確な色を表現することができる。スーラの表現手段が人間の身体に依拠していることに比べて、現代の機械の表現精度は、人間の身体を遥かに超えている。

手段が人間の身体に依拠しないならば、同時に、それが向かう目的も変化させることが可能である。

「線分」

「線分」とは数学の用語で、二点に挟まれた連なる集合、と定義されている。ただしこれは数学上の言葉を借用しているに過ぎない。ある概念に基づく結果として現れた形式が線分と呼べるだけで、数学上の概念としての線分とは差異がある。

芸術の形式として長らく絵画芸術があるが、絵画がまだ人間の手によって描かれる時代には、そこには一次元の描き方はない。絵画とは(ある程度)二次元という平面のフレームを前提とし、普通は上から線を順になどの描き方をしない。現代において、印刷機は普通、媒体物の上に線を連ねて出力をする。これは一次元を連ねて二次元を表現している描き方で、印刷機は一次元を前提としている。ならば印刷機に送る命令は、一次元を出力させることで十分であり、そして印刷機の基本色であるCMYKを使用するのみとなる。ただし、印刷機はCMYKの各色を混ぜ合うことが前提にある。この基本色同士CMYKの混ぜ合わせ方は16通りあるので、使用色は16色となる。

16色が一次元上で単純で多様な配置となる計算方法を印刷機へ送る。そうして出力されたものが、印刷機が描く芸術であり得る。

それが、『自律するCMYKの各インクによる線分』である。

2010年3月22日 March 22, 2010

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