個展「一本道の迷路、正順あみだくじ」

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個展「一本道の迷路、正順あみだくじ」

Exhibition - Single Route Maze Exhibition - Same Order Amida Lottery

開催概要

  • 会期:2015年8月13日(木)~9月12日(土)
  • 時間:15:00-19:00 ※日・水 休廊
  • 場所:20202 (東京都渋谷区西原3-23-4 コート代々木上原102)
    ※小田急線・東京メトロ千代田線「代々木上原駅」東口より徒歩4分、小田急線「代々木八幡駅」北口より徒歩8分
  • 料金:300円

出品作品

※上記画像はプロトタイプ版です。出品作品に含まれておりません。

作品ページ:「一本道の迷路」、「正順あみだくじ

  • 「一本道の迷路 第一番(最小構成/2*2)」 210mm * 210mm
  • 「一本道の迷路 第二番(フラクタル的/深度:1/3*3)」 210mm * 210mm
  • 「一本道の迷路 第三番(全域木/4*4)」 210mm * 210mm
  • 「一本道の迷路 第四番(全域木/8*8)」 210mm * 210mm
  • 「一本道の迷路 第五番(フラクタル的/深度:3/27*27)」 420mm * 420mm
  • 「一本道の迷路 第六番(全域木/70*70)」841mm * 841mm
  • 「正順あみだくじ 第一番(最小構成/2*2)」 210mm * 210mm
  • 「正順あみだくじ 第二番(非対称/5*20)」 210mm * 210mm
  • 「正順あみだくじ 第三番(対称/30*60)」420mm * 420mm
  • 「正順あみだくじ 第四番(非対称/50*222)」 841mm * 1,189mm

展覧会ステートメント:「一本道の迷路、正順あみだくじ」

迷路は、迷いながらどの道を行けばゴールに辿り着くかを探ることに面白さがある。あみだくじは、どこに行くのかわからないからこそ、順番決めに使われる。いずれもランダム性を利用したもので、単純なルールに従って人間が行うことが前提となるものである。これらは大量の線があることによって、「どこに行くべき/行くのかがわからない」ように、人間の計算能力の限界を前提として成立している。

しかし私たちは、人間の計算能力を遥かに上回る機械の時代に生きている。迷路やあみだくじのような単純なルールのみからなる計算問題は、機械の計算能力をもってすれば、どこに行くべきか、どこに行くのかという解答を瞬時に得ることが可能だろう。(当然、迷路やあみだくじを解くプログラムは、世界中にある。)

「機械によって可能である」という想像は、機械の時代以降の価値観である。機械による計算の方が、人間が行う計算よりもずっと高速である場合、その計算は機械が行った方が効率的だ――こうした価値観が、私たちの社会ではごく日常的に行われている。

つまり迷路やあみだくじがいまだにこの時代でも存在しているのは、これらの計算が機械によって行う必要がない、言い換えれば、人間が行う必要があると考えられているからだ。迷路は遊戯であるし、あみだくじは順番決めのクジだから、人間が行うことに意味があって存在しているのだ。

では、人間にとって意味が無い迷路やあみだくじを作ることを考えてみる。迷路であれば、一本道で迷わないもの。そんな迷路は面白みが無いため、遊戯性が無い。あみだくじであれば、正順に戻るもの、つまり順番が全く入れ替わらないもの。そんなあみだくじは実用性が無い。

ここで、「意味」という語には、「意義」というニュアンスが含まれていることに気付く。先に述べた「意味が無い」という文は「存在意義が無い」という意味だ。一本道の迷路や正順あみだくじは、「存在意義」が無い。しかし「壁がある部分は進めない」だとか、「横線があれば入れ替わる」という、線が持つ意味は保存されたままである。

「一本道の迷路」や「正順あみだくじ」を作ることは、それらが持つ「意義」を取り去り、言葉としての「意味」のみを強調できる。迷路やあみだくじは、私たちが言葉ではなく単純な線の連続のみで「意味」を解釈している、稀有な視覚表現なのである。

2015年7月 馬場省吾